氷川神社 本社神輿誕生物語

令和元年8月、高円寺氷川神社に本社神輿が誕生しました。
記念すべき御代替わりの年に、本社神輿を持つ。――この思いがけない慶事が実現するまでには、氏神様の導きを思わずにいられない、いくつもの素晴らしいご縁がありました。
神輿を奉納いただいたのは、氷川神社の氏子地域の一つである北一丁目町会です。50年以上にわたり神社境内で眠っていた町内神輿が、氷川神社の本社神輿として蘇るまでの軌跡を、ここにご紹介します。

半世紀にわたり眠っていた、高円寺の至宝

高円寺氷川神社の境内には、氏子地域の町会が持つ神輿を保管するための神輿庫があります。そこには十の町会がそれぞれ所有する十基の神輿が一列に並び、お祭りの時期になると、各自の町内を巡行し、再び戻ってきます。しかし、一隅に置かれたひときわ大きな神輿だけは、一年中、埃をかぶったまま動くことがありません。それが、北一丁目町会の神輿でした。

北一丁目町会は戦前から文化人、著名人を輩出する住宅地として栄えた、高円寺のなかでも長い歴史を誇る地域です。かつては地域の安全と発展を祈願するお祭りも盛大に行われ、人々は競ってあの大きな神輿を担ぎ、町内を練り歩いていました。しかし、昭和30年代に入ってからは高齢化が進み、神輿の担ぎ手が減少。いつしか神輿は神輿庫にしまわれたままになり、実に半世紀以上もの時が経過したのです。



しかし、神輿は忘れ去られたわけではありません。「このまま神輿が朽ちてゆくのは、神様に申し訳が立たない」――そんな歯がゆい思いを、北一丁目の人々はずっと抱えていました。とりわけ強い使命感を抱いていたのは、町内会長を務める高田芳作氏。少年時代にあの神輿の担ぎ手を経験した高田氏には、「あの神輿に、もう一度日の目を見せてあげたい。そしてまた昔のように、この町に活気を与えてほしい」という宿願がありました。とはいえ、老朽化した神輿の修復、担ぎ手の確保といった課題を前に、町内神輿の復活は難しい状況でした。

(左)北一丁目町会会長 髙田 芳作さん (右)高円寺氷川神社 宮司

「新元号元年」を期に、神輿修復プロジェクトが始動

神輿修復の機運が一気に高まったのは、平成30年のことでした。「御代替わりが行われ、新元号元年を迎えるという歴史的な慶事に合わせ、神輿の復活をできないか」という北一丁目町内会の想いと、平成30年に代替わりを経て就任した氷川神社新宮司の「氷川神社として、高円寺のためにできることがあれば積極的に貢献したい」という想いが合致。北一丁目町会の総会にて、神輿庫に保管されたままになっていた北一丁目の神輿が、氷川神社の本社神輿として奉納されることが決定、また氷川神社氏子総代会においても北一丁目町会神輿の奉納を受けて本社神輿とすることを決定しました。氷川神社にとってもまた、本社神輿を持つことは先代宮司以来の長年の悲願。高円寺随一の由緒を誇る北一丁目の神輿以上に、初の本社神輿として相応しい神輿はありませんでした。



残る問題は、半世紀にわたり使われていなかった神輿の修復でした。翌年8月の例大祭に間に合わせるためには、残り9か月ほどで完成しなければなりません。ところが、浅草にある神輿製造の老舗・宮本卯之助商店(株)様に修復を依頼したところ、「修復には早くとも一年はかかる」とのお返事。古い神輿の修復には、漆を乾かす時間なども勘案し、通常それぐらいの時間がかかるとご説明いただいたのです。しかし、関係者一同が事情を説明してお願いした結果、私たちの神輿への想いが伝わったのか、最優先で修復いただき、何とか例大祭に間に合うことになりました。

氷川神社の、そして高円寺の、新たなシンボルへ

宮本卯之助商店様によると、神輿は昭和初期のもので、後藤直光神輿師の謹製とのこと。「江戸の三大神輿師」の一人・初代後藤直光から受け継がれた彼の技術は評価が高く、北一丁目の神輿に見られる彫りの深い精緻な彫刻は美術品として価値あるものです。2019年8月25日に迎えた神幸祭で、この神輿は約100名に及ぶ氏子によって担がれ、神道の伝統に則った壮麗な行列と共に町内を巡り、高円寺の人々に温かく迎えられました。名実ともに、半世紀を経て神輿が復活した瞬間でした。

(左) 高円寺氷川神社 宮司 (右)東京都杉並区高円寺北一丁目町会 会長 髙田 芳作さん